表現によって見方が変わる、テロ、暗殺、天誅

人やその家族が殺される痛ましい事件である。犯人の目的は何であろう、政治的な目的を持つテロか、個人的な不満を持って暗殺したのか、社会正義を気取って天誅と思っていのか。

犯人が天誅と思って犯行に及び社会がそれを支持したらとても怖い。殺人が肯定される世の中であってはならない。今こそ政治による断固たる公務員の構造改革が必要である。

もしも、犯人が無敵の人であったら、これは混乱の始まりに過ぎないかも知れない。秋葉原の通り魔事件でわれわれは社会に何の希望も持っていないお金も将来もない若者が多くいることを知った。何も失うものは無い、あるのは絶望だけ。そんな彼らを2chの管理人のひろゆき氏は無敵の人といった。http://www.asks.jp/users/hiro/46756.html

社会からの承認欲求のみで通りすがりの人を殺していった彼ら。彼らは皆そろえるように「誰でもいいから殺したかった」といった。そんな彼らが日本を悪くした人間を殺したんだといい始めたらこれは悲劇である。

厚生大臣は悪いことをしたやつは全て牢屋に入れるようなことを言ったが、どれだけの人がお縄になって牢屋に行ったのだろうか。一年で片をつけるといった年金問題はどうなったのだろう。約束を守ることが社会正義の前提ではなかろうか。行動により合法的に社会を変えることが出来ると知らない彼らは社会から裏切ら続けていると感じているのではないだろうか、ならば俺が短絡的な行動に出る輩が出てきてもおかしくない。それほど深刻な社会状況だといえる。

もし天誅と思って犯行を行なっている場合は、組織化されていない可能性が高い。その場合、無敵の人がいる限り、模倣犯が現れてくるように思う。だからこれは一種の笑い男事件なのかも知れない。

テレビでは殺された人の同僚や知り合いなどがインタビューに答える。その肩書きは天下り先の理事であったりするわけである。天下り先で年収何千万、退職金何億ともらうそうである。どんどん天下っていけばどんどんお金が入り、年金もばっちり、家は一戸建ての持ち家。そんな官僚と非正規雇用でいつ首になるか分からず年金も支払っていない、年収300万円以下の彼ら。この対比は強烈である。

今後、官僚は天下り先を確保する替わりに暗殺されるリスクを抱えてしまった。なんと悲しい社会であろう。

これと、先の田母神論文の言論クーデーターような思想が重なったときは日本はきわめて危険な方向に行くのではないかと危惧する。

希望は戦争と赤木智弘氏は若者の声としていった。断じてそのような方向に日本を持って行ってはならない。政治家は国民、国家のために自覚を持つべきだし、国民一人ひとりの意思による民主主義によって国を変えていかなければならない。