東電役員が海外移住した意味を考える

以前の更新が2010-10-29だったので震災前になります。その後は独自ドメインでぼちぼち更新してましたが、あまり長い文章を書いていませんでした。またhatenaで少しずつ記事を書いていきたいと思います。

少し古いニュースになりますが、東京電力の役員が天下りの後、家族で海外に移住しているというニュースがありました。
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/848.html

事故の責任も取らず、優雅に海外暮らしかという論調や日本にいると当たりが強いから海外に移住したなどの論調が多いのですが、もしかしたらこれはもっと重要なシグナルを発しているのかも知れません。

そのシグナルとは、東電の上層部は内部被曝の影響がどのような仕組みで起こりどの程度あるのかを、以外と正確に把握しているのではないかということです。

もちろん妄想の域を出ない推論ですが、彼らは内部被曝により、心筋梗塞脳出血などの増加、持病なのどの悪化などの身体への影響が確率論的に起こることをある程度把握しているのではないかと思うのです。

現象的に確率論的に起こるということは、科学的に証明しにくいため、現在の日本国内では放射性物質の影響(内部被曝)はほとんどないということになっていますが、常に少量の内部被曝を続けている状況にあります。

しかし、確率論的に内部被曝による影響(心筋梗塞)等、起こるのであれば、内部被爆の影響で明日、私が死ぬかもしれない、明日、あなたが死ぬかもしれないというリスクを抱えることになると思うのです。

当然、放射性物質以外の他の要因のリスクも多く、内部被曝等の影響のみ心配してもしょうがないということもあるかも知れません。しかし彼らはこれらのリスクがどの程度あるか分かった上で、いや分かっていたからこそ、海外に家族共々移住したのかと思うのです。

家族を含めた海外移住を行うにはそれなりの理由と決意が必要です。それにたる何かが、彼らの中にあったのは確かだと思うのです。

もしかしたら内部被曝の影響でX年間でX%人口が減るなどの情報を持っているのかも知れません。そしてそれらの状況をコントロールするために海外から今もシナリオを練って、国内に指示しているように思うのです。

これが単なる妄想で、内部被曝の影響など全然ないということが科学的に証明されるといいのですが。

Androidがガラパゴス携帯になっていく!?

年末に掛けてSoftBankauDoCoMoなど3キャリアからAndroid端末が発売されます。またタブレットもたくさん出てくるようでこれからはAndroidの勢いが増していく!と思うのですが、開発者視点で現在起きている困った事象とこれから注意を要する部分、今後の考察などまとめて起きたいと思います。

既に起きている事象

  • ある特定の端末でレイアウトが崩れる

ある機種ではなくある機種の特定の端末、それも複数でレイアウトの崩れが発生しています。現在確認が取れている機種はXperiaですが、手元のXperiaでは再現しません。レイアウトのXMLもそんなに複雑でなく、原因が把握できないままです。頻発するようであるとAndroidは品質保証の部分で非常にもろい一面を持っているといえます。

  • ある特定の機種でOOMが頻発する

これもXperiaですが、特に画像を扱うアプリでOOMが頻発します。画像サイズを小さくして読み込むや色数を減らして読み込んだり画像のリサイクルを掛けたりしていますが、どうにも改善できませんでした。これは正確に確認したわけではないのですが、ヒープの扱いが端末によって異なるようです。

  • ある特定の機種?端末?でSDカードに書き込めない

SDカードにファイルが保存できない事象が発生しています。これはdocomo SH10B LYNXで発生しているようですが、機種か特定端末に依存する事象かは分かっていません。ユーザーからの報告だけなのでなんともいえませんが、SD内のパーミッションの設定が機種により異なるのかも知れません。

  • バージョンアップ後?音声ファイルが再生できない

これも詳細未確認で申し訳ないのですが、事象だけ書くと2.1から2.2に後からSD内のwavファイルが再生できなくなりました。アプリの録音機能後再生しているのですが、なぜか分かっていません。2.2からSDにアプリを移動できるようになったことと関係しているかなと漠然と思っています。

上記のようなことが起きると有料アプリとしてAndroidMarketにアップロードすることに躊躇せざろう得ません。テストにより品質保証できない上記のような現象はどうすればいいのかと思案しています。

Android開発において実機でおきそうな問題点をまとめておきます。

  1. 画面のアスペクト比

解像度の違いはある程度フレームワークで吸収できますが、アスペクト比は吸収できないので思ったような見た目にならない端末が出てくるかもしれません。

  1. メモリ関係

内蔵メモリの容量やヒープの使い方でトラブルが起きる可能性が高いと思っています。

  1. 端末固有の問題

各キャリアなどがカスタマイズのためにOSの下層まで手を入れているとするとそれに応じて生ずる問題はアプリ側からは対応が難しいように思います。

  1. OSのバージョンの問題

これまでも一部のクラスやメソッドがなくなるなど、バージョンアップにより修正が必要な部分がありました。バージョンアップにより色々な問題が起きる可能性は今後も十分に考えられます。

  1. root化による問題

これはサポート外になりそうですが、比較的簡単にroot化を行い、ROMを切り替えられるので、それらROMでは何が起きるか分かりません。ただこういったROMが盛り上って、 Ubuntu見たいなAndroidOSが出てくるというのはありそうで楽しみです。

現状、Linuxが辿った無数のディストリビューションのようにさまざまなAndroid端末やマーケットの乱立が始まっています。収斂するまでにはまだまだ時間がかかりそうな気がします。

もう少し博士としての客観的な考察が欲しかった

高学歴ワーキングプアの著者である水月昭道さんの著です。大きく3部構成になっています。

第一部は高学歴な博士たちの現状を綴った部で、生活という点において夢も希望も無い高学歴の人々が描かれています。

第二部は筆者の少し前の境遇から始まって、仏道的な独白になっています。ここでは高学歴ワーキングプアを縁と思って受け入れ学問をせよというようなメッセージに聞こえました。道が筆者のキーワードになっているようで文章内に散見されました。

第三部は対談で鈴木謙介氏が登場します。全体的な書籍のバランスを考えるために入れたように感じました。

現実問題として多くの大学院卒、修士や博士が路頭に迷っています。そして奨学金などの借金を背負っています。身につけた研究というスキルでは生活できず、それを社会に役に立てる場が少ない状況です。

一方一般的に社会で働いている人に取っては、体験したことのない博士の世界は、自分の好きなことだけをやっているというイメージがあり、自業自得というイメージを持っているようです。

水月氏のいうように政策的な構造の歪みはあったかと思いますし、本当に優秀でもなかなか就職できない現実がありますが、博士も自分の好きなことをやっているのだしという思いも少しはあるようで、なかなか大きなうねりにはなっていないようです。

本質的な話として憲法まで戻ってみると
第23条 学問の自由は、これを保障する。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

というところが侵されているのが現在であろうと思います。博士の多くは将来の任期等で研究に打ち込めない状況がつづいています。彼らは贅沢をしたいわけではなく、本当に生活に困っています。彼らは最低限度の生活が続けられれば研究に幸せを見つけつつましく生きていくと思います。

現在の状況は経営的な合理性の元に起こっていると考えると分かりやすいと思います。

1.教授等会社で言うと正社員の人々
一般の企業と同じで終身雇用、年功序列であるため定年まで雇用されポストが開かないと人員が補給されません。学生減少のなかポストは減る方向にあり増える方向にないと思います。従って経営者は人件費を上昇圧力の強い固定費と捉えることになると思います。

2.全体の収入の減少
入試及び学費が主な収入であるとするとこれは減少傾向にあると考えられますので、授業というサービスを維持するために増やさなければならないのが、安い人件費である非常勤の講師ということになります。(企業で言うところの派遣社員)

3.任期制に関して
現在の終身雇用の人々の人件費を抑制することが経営的な課題になります。終身雇用の人々はだんだん年を取って高齢化していきますので、任期制の職員を入れて平均年齢を維持し、総人件費を一定にする必要が出てきます。(企業で言うところの契約社員に近いところ)

つまり現在の博士が生活できないという問題は、博士の職場が大学であると仮定すると、総人件費の問題であり、対策は下記のいずれかになります。

1)収入を増やす
企業であればこの方向を目指すことになりますが、大学での特許や大学発ベンチャーなどを見ているとなかなか難しいようです。人口が減少している今、学生は増えないのはもちろんです。そういった意味だと出口戦略はありませんでしたが、学生を増やすという意味では大学院生を増やす政策は合理的であったと言えます。

2)雇用の流動化して支出を減らす
研究もしない、学会発表もしない、授業は毎年同じ。そんな教員が大学には溢れています。教わる学生はご愁傷さまとしか言いようがありませんが、そういったフリーライダーな教員には辞めてもらうか給料を低くしたいと思うのが経営陣の気持ちだと思いますが、こういう人に限って声が大きいようで、全体的に人件費をシェアする方向には動かないと思います。

3)見える化を行ない顧客からの圧力を待つ
直接的な案ではないのですが、見える化を行ない状況を共有することも重要だと思います。
思考実験をしてみます。非常勤が教えたときに、1コマ月3万円とすると週に4回授業があったとして、1回あたりの金額は7500円となります。時給5000円くらいです。時給にすると高いですが、月収3万と思うと安いです。さて、1回の授業が7500円とすると学生が50人いたとして、一人が一回の授業で払う金額は150円。あなたがうけた授業の価格は150円でしたと言われたときに高いか安いか?
この授業が年で26回とすると、150×26回=3900円となります。
大学を卒業するのに必要な単位は124単位ですので、簡単のためにここでは1授業全て4単位と仮定すると、31授業を4年間で受ける必要となります。
1授業3900円/年、31授業ですので、120,900円があなたが非常勤講師に払う金額となります。念のために4年間で12万円(1年3万円)です。
学費が私立で80万くらいとすれば、4年間で320万円です。そのうちの12万ですので、僅か約4%が授業の値段となります。
もちろん全ての授業を非常勤でやった場合で、学生が50人という前提条件は入りますが、残りの金額は何処に消えたのかということになりそうです。

少なくとも学生は4年後の就職というものもあるでしょうが、質の高い授業を受けそれを学んだ証である単位を取得するために大学に通っているのではないのでしょうか。そんなに安い値段90分150円で世界レベルの授業は受けられるのでしょうか。漫画喫茶でも1時間300円程度、スターバックスのコーヒーが290円。知の価格はそんなに安いものなのでしょうか。

まずは大学からアカデミアのプライドにかけて率先して同一労働同一賃金を実施し、学生に世界に通用する最高の授業を実施してみてはいかがでしょうか。

試験的に大学の教員にはベーシックインカムを適用し全ての授業の実施費用を免除するのも面白いかもしれません。

また、学問や研究を行うのに、大学である必要はありません。沈みゆく日本の大学であがくよりもブルーオーシャン戦略で新しい学問、研究の場を創りだしたほうがいいかもしれません。インターネットがある今、それはすぐそこにあるように思います。そういったイノベーションの萌芽が破壊的なイノベーションとなり、既得権に守られた世界を崩していくのかも知れません。

ついついこの話題は長文になってしまいます。それほど色々と心のなかに残っているのかもしれません。

菅首相のいう最小不幸社会というものがどのようなものか考えてみた。分解すれば不幸が最小な社会ということであろう。

不幸とは何かといえば、幸福の否定であるから幸福でないことであろう。幸福は満ち足りていて幸せなことあり、不平や不満が無いことであるから、つまるところ最小不幸社会というのは、不平や不満の少ない社会を示すのであろう。

不幸という概念は相対出来であり、人によって違う。最小ということは0ではないし、相対基準で0ではないことを示す。ということは不平や不満が最小に近づいていったとしても相対基準が残る限り、Aさんと比較して不幸だ等々は残るので、最小不幸社会が幸せな社会とは考えにくい。

むしろ何をやっても不幸が残るとすれば、いつも不幸社会であり、いづれはそれが最大不幸に思えてしまうのではないかと危惧してしまう。

最小不幸社会は幸福の満ち足りていて幸せな社会を目指さない。不平や不満をなくす社会を目指す。

必要なのは国民全体が幸福に過ごせる社会ではないだろうか。最小不幸社会と最高幸福社会は対義語にはなろうが受けるイメージが全く異なる。

幸福社会はAさんと比較してAさんのようになりたいと思ったBさんがそのために努力できるそしてそれを掴めるかもしれないと思える社会である。その思える状況が「希望」であろう。

最小不幸社会はAさんの良いと思う部分が国やBさんが取り壊してしまうような社会ではないであろうか。

そこには「希望」ない、内向きな足の引っ張り合いになるように感じる。

現在社会では今まで普通と思われてきた雇用、結婚、出産・育児、家や車など社会基盤の重要な部分が失われてきている。

これらは、国から直接に与えられるものでもない。希望や夢を元に個々人が社会との絆の中で少なくとも自分の力で手に入れたものだと思えるものでなければならないと思う。

明日からここで働いてください。明日からこの人と結婚してください。家はこれにしてくださいと国に指示されるとしたらこれは滑稽である。

したがって、目指すべきは希望を持てる社会であり、そのために必要なことは目に見えない壁を取り払うことであろう。それは雇用の流動化であるかもしれないし、世代間格差の是正かもしれない。

経済学者の池田信夫は2009年「希望を捨てる勇気」という書を出している。その最後はこう結ばれている。

"日本に足りないのは希望ではなく、変えなければ未来がないという絶望ではないか"

まさに現在がそのような状況になりつつあるのかもしれない。今必要なのは希望がと持ち続けるというよりかは、希望があることを信じて絶望から立ち上がる勇気、それを邁進する熱意ではなかろうか?

毎日のように人身事故が起きている。事故で片つけてしまって良いのだろうか。彼らには絶望しかなかったのであろうか。

一片の花の美しさ、朝日の神々しさ、人との絆。希望のカケラはどこにでもある。その小さな希望のカケラを見つけて、自らが他の人の希望のカケラになれるように熱意を持って生きて行きたいものである。そしてそれが大きな希望のうねりになっていけば良いと思う。

成功者の告白

起業から5年成功していく主人公の人生を描いた物語です。前半はどのようなサービスで企業すればいいか、起動に乗るまでどうすればいいかが小説として描かれえいます。

起業を目指す人にはこの前半部分は大いに参考になると思います。後半にかけて起業した会社が大きくなっていく、その時に起きる様々なトラブルが描かれます。家業から企業へ脱皮する期間。会社が大きくなる過程で経営者も企業も変わらなければなりません。そのための試練が次から次へと襲ってきます。

最後は主人公が一回りもふた回りも大きくなって自分を取り戻していきます。

なかなか面白く一気に読むことが出来ました。下手な経営の本よりも役に立つことは間違いないと思います。

最近の本かと思いましたが初版は2006年でした。経営や企業の本質というのは変わらないのかもしれません。おすすめの一冊です。


政権漂流

帯には希望か失望かの文字が、民主党のドタバタを見ていると失望と言うより絶望感が漂う。私も含め多くの人が日本から出て生きていくにはを真剣に考え始めている。

本書は現在の政権の漂流を政党の歴史を通じ現在まで述べた書。日本、諸外国、経済、国内事情、色々な要因が絡まって現在の姿になってきたことが分かる。

今後、日本国内は不安定さを増すかもしれないが、そこは関心の輪。影響の輪に焦点を当てて、自己をしっかり見つめていきたいと思った。

35歳の幸福論

人と人の繋がりが希薄になり、個々人が自由になった結果、幸福とは何かわかりづらい世の中になってきています。

本書は臨象哲学というもので、この幸福について考えている書です。

ダイアモンドアップルという図形に幸福の各カテゴリを当て図形として幸福を考えています。この考えは面白いと思いました。お金では測れない幸福とはを俯瞰できると思いました。

ただ定量化はできないので、相対的に自分の幸福マップがどうなっているか時々見なおしてみるのは良いと思いました。

文はこのダイアモンドアップルに対して、筆者の経験談が語られる形で進みます。幸福論というには少し経験談のところが長すぎるように思いました。