まとまりも無くお金のことを考えてみます。

商売を始めてみるとお金って何だろうと思うことがあります。ただの数字を羅列した記号と考えることができますが、お金には一般的には自分で作り出せないという特徴があります。自分で作ると、偽造で捕まってしまいます。従って外部から調達する必要があります。外部から調達するには、労働力を提供しその対価としてお金をもらう、サービスを提供しその対価としてお金をもらう、外部から譲り受ける、お金を貸すなどして利息を受ける、といった方法が考えられます。まとめると

  1. 労働
  2. サービス
  3. 譲渡(寄付)
  4. 利息

となります。また違法の方法としては、脅すや騙すといったことが考えられます。これらのさまざまな手段が社会の中で行われ、お金が血液として流れ社会が成り立っているものと考えます。性善的に考えれば、お金持ちという人たちは社会に対して多くの労働やサービスなどを提供してきたものと考えられます。例えば定年後ある程度ゆとりを持って暮らしている人たちは、長年にわたり労働を提供し、その結果退職金、年金等で暮らしているものと考えられます。また、成功した経営者などは会社を通じてサービスを提供していますので、多くのお金を持っているものだと考えられます。また株などで、利益を出している人は、お金を市場に流すことにより、お金の流れを活性化しているものと考えられます。これら3つは何らかの価値を提供した結果、その対価でお金を得ているものと考えられます。譲渡だけ価値の提供を行わずお金を受けるといえるかも知れません。ただそこには渡すほうが譲渡するほどの価値を相手に見出している必要があるので、結局のところ価値提供の対価としてお金が動くものと考えれます。
ではなぜ格差社会が広がっているのでしょうか。格差社会はお金を多く持つものと持たないものが分かれる社会といえます。今までの話の流れに沿えば、下流と呼ばれる人は社会に価値を提供していないのでお金が少ないということになってしまいます。実態的には結果そうなのかも知れません。彼らは代替可能な単純労働を提供しているだけかも知れません。問題はそこから自らの意思で移動できるかというところにあります。
もちろん移動は可能なのでしょうが、価値を提供したくても提供できる場所が少ないという、新卒信仰を中心とした年功序列の制度的な問題やスキルや意思の問題があると思います。
結果、希望をなくすか安易な方法に進んでいるように思います。例えばニートなどの人は親(親世代)のお金で生活するわけですので、消極的な所得移転といえますし、振り込め詐欺などは、比較的裕福な高齢者から若者?への違法な所得移転といえます。
国は何をなすべきかと考えても、これは私の影響の輪の外なので、何も起きませんが、全ての人ができうる労働を提供し、価値を高め日本全体のサービスを向上し、あまったお金は適切に運用し利息利益を得るというのがあるべき姿なのかも知れません。政治家しかり、経営者しかりで親から子へ資産の譲渡が行われるわけですが、これは国に譲渡し、格差の下の方で這い上がれない人に対して価値を提供できるように手当てをするのがよいと思うのです。
まぁ小泉元首相も子供に地盤や資産を譲るようですから、これの実現は難しそうです。