少年の見た硫黄島玉砕

十七歳にして硫黄島に送られた筆者。文書全般は若さと使命を感じさせる流れが続く。どこで暗転するのだろうか。米軍が壕以外を制圧したあたりから、硫黄島は戦争の島ではなく、生き地獄の島になっていく。後半に行くに従いその凄惨さは加速度を増す。悲しみを超えた悲劇、敵は米軍だけでなく、水、仲間、温度、特に水に苦しんだ様子が克明に描かれる。
筆者は言う、硫黄島の戦いは人間の存在に対する究極の耐久試験であったと。筆者はあとがきで死んで行った同胞に思いを寄せる。「死んでね・・・意味があるんでしょうかね・・・」「どんな意味があったか、それは難しい。でもあの戦争からこちら六十年。この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、と言ってやりたい」
筆者によると硫黄島で死んでいく人は「おっかさん」と絶叫したようだ。別に戦いたくて戦ったわけでも、ない普通の人は最後に国の母を思い散っていたのであろう。戦争は過去のもの特別なものと思っている我々ではあるが、普通の人の明日の日曜になるのかもしれない。戦争を過去の特別なものとしてくれたのはかようにして死んでいったたくさんの英霊のおかげかも知れない。
今年所用で硫黄島に滞在した。硫黄島滞在中、気がつくと頭にこだまする声があった「母さん」「水」「痛い」であった。英語だと「ジャップ」が多かった。気のせいといえば気のせいかも知れないし、思い込みかもしれない。それを確認するために色々と硫黄島の書籍を読み始めた日々です。