無料でいいのだろうか

デジタルに代替可能なものはインターネットや電子機器の進展により無料化が推し進められています。例えば新聞は自らがニュースサイトを開設し自らのビジネスモデルを否定し、ニュースサイトは直接的収入を得ていません。また音楽も無料化してしまっています。例えばYahooミュージックを開けばヒット曲からなつかしの音楽まで無料で聴くことが出来きます。私はニュースを見てお金を払っていないし、曲を聴いてお金を払っていません。しかし、ニュースを配信するにはサーバーの物理的な費用、電気代、取材し入稿する人の労力、記事を打ち込む人の労力と少なくない労力がかかっているはずです。音楽なら作詞、作曲、バンドやボーカル、スタジオ代など多くの労力がかかっています。OSも無料、アプリケーションも無料、サービスも無料。無料でないものも違法な行為で簡単に入手可能な状態となっています。無料文化が拡大して今後どうなるのでしょうか。そもそも無料文化は今後も拡大するのでしょうか。
無料文化を推し進めているのは、大きく分けるとLinuxなどのオープンソースの流れとGoogleなどの広告収入によるサービスの無料化の2種類あると思います。前者は人類の共通財を作り出しているといえます。LinuxApacheなど多くの価値あるアプリケーションが広く普及しそれを用いたサービスが提供されています。Googleは広告収入による大きな収益を元に誰も追いつかないような高度なアプリケーションを無料で提供し我々の生活スタイルを変えるまでになっています。
私たちはこれら無料化文化の恩恵を受けて生活しています。
そして、こういった背景を元に、デジタルで代替可能なものは無料であるべきだという流れが生まれてきているように思います。使う人にとっては無料でよりよいものを使えるのがいい訳でですから、例えばGmailに匹敵するサービスを開発し有料としたとしても、ニッチ的な特徴が無いと成功しないのではないでしょうか。なぜならGmailがあるから。Gmailは7GBを超えるメールボックスを全世界中の人に無料で提供し、大きな価値を我々に提供していますが、Gmail利用料を支払うことを求められたことはありません。これは基本的に仕入れに対して相対する売上が無い状態のビジネスモデルといえます。Gmail利用料に変わる売上が広告収入です。誰かが私たちがGmailを利用するための費用をGoogleが発展するための費用を広告料という形で払っています。これらはGoogle経済圏と呼ばれたりしますが、ここで危惧するのは広告費用は実体経済の活動の広告宣伝費で使われるものであり、無料化ビジネスにより、実体経済が縮小すれば最終的に広告収入も下がっていくのではないのだろうかということです。
ここまでの懸念をまとめると、

  1. 無料文化は今後も拡大しデジタルに代替可能なものは全てデジタルに置き換わり無料となるのか
  2. 無料化文化を支える間接的収入である広告モデルは今後も拡大できるのか

ということになります。
近い将来、これらの方式は行き詰まりを迎えるのではないかと思っています。なぜなら、バブルというほどの経済の拡大が昨年のリーマンショックを受けて崩壊したからです。財政支出により何事も起きていないかのような状況で株価も1万円を超えていますが、痛んだバランスシートが改善されたわけではありません。今後、現金が無いという事態がじわじわ進んでくると思うのです。そのときのベクトルとして

  1. 企業は広告費やシステム投資を抑える
  2. 個人はより無料または安いもので過ごしお金を使わなくなる

という流れになり、日本ではさらに高齢化により高齢者がお金を使わないので、内需の活性化が期待できなくなります(高齢者はお金を持っているようですが、洗濯機が10台もいらないようにお金の使い道が無いようです)。
これにより一層のデフレスパイラルが加速すると考えています。ここで取るべき戦略は労働生産性を上げ、かけるお金を少なくし大きな成果を生むことです。民主党政権になり製造業への労働派遣が禁止されるかも知れません。その結果、多くの工場が安く品質のいい労働力を求め海外に行くかも知れません。ここで問題なのはそれでも生産活動には何らかのお金がかかるということです。無料化文化と同じ土壌には乗れないのです。製造業であればITを活用し生産性を高めるという方式は考えられますが、デジタル代替可能な産業はどんなに生産性を高めてもコストをゼロには出来ません。
従って、今後1,2年の間に、独自に無料サービスを提供している多くの中小企業がサイトの閉鎖や合併などに追い込まれるものと予想しています。特に人を多く抱えて固定費の高い企業は苦しむと予想できます。
さて、ここからが夢想的な一つの提案になります。今までの「もの」のビジネスモデルはコピーできないことが前提でした。トヨタプリウスをコピーして他の人に配ることは出来ません。だからこそ販売店に行って契約書を書いて購入するわけです。「もの」に関するビジネスは初期に資本を投下し、大量生産に繋げ生産性を高め収益を得るというモデルであるといえます。
デジタル代替可能品にとっての問題は、初期投下した資本により作り出された商品がユーザーの手によってコピー可能であるということです。しかも劣化無くまったく同じものを作成することが出来ます。
例えばCDを考えてみると、コピー(製造)が企業しか出来なかった時代はレコードに比べると製造コストは低く収益性の高いビジネスであったと考えられます。1995年ごろになるとCD-Rが普及し始めて自分でCDを作ることが出来ることがユーザーに伝わってしまいました。CD-Rの価格たるや100円程度、それがモノとしては3000円程度で売られていたわけですから、自分でコピーしようと思う人が増えてきました。さらに年月がたつと、今度はインターネットで検索すると音楽が手に入る時代が来ました。コンポが売れなくなり、パソコンで音楽を聴く時代になりました。そのころiPodが発売され新しい音楽の流通経路が出来ました。
このことを考えるとユーザーがコピーするという流れは変えようが無いのだと思います。だからコピーガードCDなどを導入しようとしたSonyなどはiPodの流れに乗れずにAppleに敗北したのだと思うのです。
従ってこの10数年の流れで分かったことは

  1. デジタル代替可能品とはユーザーがコピー可能な商品である
  2. デジタル代替可能品の価値とはより多くのユーザーがコピー及び利用した商品である

デジタル代替可能品をコピーするには多少の労力がかかります。ユーザーの可処分時間を費やしてコピーを行うというのはユーザーがそこに何らかの価値を見出しているからに他なりません。YouTubeに動画をアップロードした人は分かると思いますが、変換に意外と時間がかかります。その手間はかなりものであるといえます。
ユーザーの可処分時間は有限です。その中でコピーし利用するものは価値のあるものであると考えていいと思います。発想の転換の一つ目は、

  1. デジタル代替可能品は多くコピーされるものに価値がある

Googleページランクシステムは参照数を判断していると思いますので同じような考え方かも知れません。この考え方に基づいて収益を上げるビジネスモデルを考えなければいけません。
まずは、サイトやデータの有料化が考えられますが、大きく成功した話は聞いたことがありません。無料で同等品が手に入るからかも知れません。例えばコンビニの隣に無料コンビニがあって有料のコンビニに売っているものと同じものを無料で手に入れることが出来るとしたら有料のコンビニは経営が成り立たないと思います。この方式を成功させるにはある日を境に少なくとも日本中のサイトがいっせいに有料化する必要があります。それでもインターネットの自由度を考えると、有志と呼ばれるユーザーが無料で公開していくことは避けられそうにありませんし、有料無料の選択は企業、個人にあるので難しいと思います。有料化で成功するためには他に無料の代替品が無いというニッチ性、特殊性が必要があると思います。
次に現在の主流である広告モデルを考えてみるのですが、何度か述べてきたとおり、広告モデルはコピー(利用)されるほど価値があるというデジタル代替可能商品の特性を生かしています。コピーされるほど、サイトのアクセスがあるほど広告の露出があがり、広告収益を期待できるからです。リアルに置き換えて考えてみると、コンビニの店内のいたるところに電車の中刷り広告があるようなイメージです。広告を見る代わり商品はただで持って行っていいよというビジネスモデルです。イメージを膨らませて見ます。あらゆる店に中刷り広告が表示され、全てのものが無料になったとしたらどうなるでしょうか。魅力的ではあるかも知れませんが、経済は停滞しそうです。なぜなら商品にはコストがあり価値を上乗せして利用者に購入してもらうことによって経済が成り立っているからです。
例えば、毎日電車に乗る人、電車賃を払って、満員電車で苦しい思いをし、痴漢に間違えられないように両手を上げ、中刷り広告を見させられてすごしているわけです。満員電車であったらお金を返してもらいたい気もしますが、輸送というサービスを提供することに対してお金を払っているわけです。あくまで広告はプラスアルファの収入であると思うのです。
ということで、デジタル代替可能商品の商品としてのコストを回収し利益を生む方法を考えなければいけません。コピーされればされるほど、利用されればされるほど利益を生む仕組みを考えなければいけません。またその方法は一般化され平等で普遍的な方法でなければなりません。10年間ことあるごとに考えてみましたが、Googleマイクロソフトのような世界的大企業なら出来るかも知れませんが個人や企業でやる方法は結局今に至るまで思いつきませんでした。
現在の無料化文化を経済に組み込むには国家規模の対応が必要と思え、そのことは企業や個人の自由を棄損する可能性があるのです。以下、荒唐無稽なアイデアを記します。

  1. デジタル代替可能商品の作者にはコピーの割合に合わせて、国がキャッシュバックする。
  2. サイトなどは利用率にあわせて国が補助金を支給する
  3. 国はインターネット利用料や携帯電話の料金などからユニバーサル料金的に利用料を徴収する

コピーなどはIPv6が普及すれば端末が1対1で特定できるので、誰がコピーしたかという仕掛けは入れられると思います。当然問題はあって、インターネットの世界には国境がありませんので国家という概念が薄く、国が対応することに問題があるかも知れません。
ただ、インターネットによって事務だけの公務員は全てバイトか端末になって、デジタル代替可能品を生み出すクリエーターが公務員として活躍する世界も面白いかも知れません。
駄文長文でした。