日本経済に足りないのは絶望?

なかなか読み応えのある本で、一度読んだだけでは全ては噛み砕けない。気になったところとしては、ワーキングプアーの対義語として、ノンワーキングリッチという言葉が出てきたことである。

すなわち窓際族と昔呼ばれたような、さして仕事もしないのに正社員ゆえにお金をもらう存在をノンワーキングリッチと呼んでいる。社会人として生きている人なら何人かノンワーキングリッチな人を思い浮かべることが出来るのではないか。

日本は正社員の雇用の流動性が乏しく、会社からスキルが見合わない社員を辞めてもらうことが出来ない。それがノンワーキングリッチを生み出し、高コスト体質を作っていると考えられる。

本書では雇用の流動化を繰り返し訴る。確かにその通りだと思う。無駄な人員を抱えるために、非正規雇用の若者を増やしてきたのだ。90年代後半から2000年代前半は若者の父親たちの雇用を守るために、非正規社員を増やしてきたところもあると思うが、現在では正社員を特権階級として維持し、非正規雇用の人員で調整を行うという手段が定着してしまった。

これを改善しコストを下げ、イノベーションを実施していくためには、必要の無い人員に別の仕事に、行っていただき、組織全体を緊張感のあるイノベーティブにする必要がある。しかしそれは絶望的に困難な作業となろう。

自力で稼げない、ノンワーキングリッチを社会に投げ出したら何が起きるのであろうか。昨日まで管理職の50代の技術の無い人員が転職できるのであろうか。彼らは自分に自社以外に価値が無い、すなわち市場価値が無いことを知っているがゆえに、スクラムを組んで、正社員の雇用を守るのかも知れない。

案外、文明が滅びるときというのは、こういったエゴで固まったときなのかも知れない。