集合知v.s.集合愚

筆者は自分のことをIT小作農と呼ぶ。ITの現場で起こる事象を筆者の背景で考え分析した本である。結論は本書のタイトルである「ウェブはバカと暇人のもの」に通じるのであろう。
比較されるのはWeb進化論などのインターネットに希望と未来を考える楽天的な考え方であろうか。どちらも事象を切り取って論じているので、どちらが正しいということは無いと思う。ただインターネットは世界を変えてきたし、これからも変えて行くであろうということは言えると思う。善悪や頭がいい、バカといった観念から離れ変えるという観点から本書を見て行きたい。
本書は大きく5つの章に分かれている。1章はネットの主なユーザーについて述べ、2章でそのユーザーとつきあう側の話が出てきて、3章でテレビの影響力が語られる、そして4章で企業のとるべき姿勢を語り、5章で個人とインターネットの話に話が及ぶ。
1章はなぜ祭りといわれる現象が起こるかを具体例を挙げて説明している。私はこの祭りについては創発現象の一つとしてとらえているのであるがどういうときに創発現象が起こるかを考える上で有用な情報であった。
2章は匿名の人々とどう向き合うかということが中心に話が進む。確かに口コミマーケティングというのが2、3年前はやったが、結局よいものが売れて行っただけといことであったと思う。この口コミマーケティングの効果に参加するブロガーを観察し疑問を投げかけている。
3章は結局テレビの影響力が大きいねという話であるが、私はここ最近の傾向を見ると少し変わりつつあると思っている。例えば頭部が透けている魚、頭の中が透けて見える深海魚デメニギス(動画) - おもしろ動物園やイギリスの美声のおばさんhttp://www.youtube.com/watch?v=SHekJ9QGiPAの話などネットからTVへの流れが出来てきつつある。また芸能人がブログを持つことにより、芸能レポーターの役割が減ってきたなど、やはりテレビはネットの影響を受けている考えられる。テレビ局はマスメディアの力を発揮するため構造改革が必要な時期に来ているように思う。すなわち減少する広告料で如何に質の高い番組を作るかというところにきていると思う。インターネットのおかげで海外の優れた番組を模倣して自分達の番組にしづらくなっただから、なおさら自分たちの知恵を出す必要あると思う。
4章はネットに期待しすぎている企業という話で、これはもっともな話でインターネットを知らない人が決裁権を握っているのですから当分はしようがないかも知れません。
確かに筆者が主張するように、インターネットは可処分時間の長い人たちに有利なメディアかも知れません。結果、バカと暇人のものという結論になるのはよくわかる気がします。ただ、バカと暇人だけのモノでないことも確かです。インターネットはバカな人も使うかも知れません、暇人も使うかも知れません。同じように、忙しい人も賢い人も使っていると思うのです。従ってインターネットはみんなの物であり、可処分時間の関係で一時的に集合愚に陥る可能性はあると思いますが、集合愚が大きくなってきたところで、可処分時間の少ない別の判断をする人たちが戻ってくると、それは修正されて行くのではないかと考えています。
問題にすべきはインターネットを使いこなせない人と使いこなせる人の格差かと思います。時間がある程度解決すると思いますが、江戸時代のちょんまげ姿の人々を日常で想像できないのと同じようにインターネットを自然と使いこなせない人々を想像できなくなる日が来るかも知れません。
本書は普段インターネットに触れていない人が読むとこんなことになっているのかと新鮮な驚きを持って読み進めることができると思います。